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2017年。今年もよろしくお願いします。

これまでの激動の3年間と比べれば就活程度しかなかった比較的緩い2016年も終わりを迎え新年がやってきました。
今年もよろしくお願いいたします。

2016年は就活が始まる直前に自主映画を作り始め、就活が始まってからはクソゲーと名高い「バイオハザード アンブレラコア」を世界ランキング10位以内に入るぐらいやりこんだり、就活が終わってからはまた自主映画を作り始め(現在進行中)、おまけに自転車で通っていた大学へ4kmある道のりをウォーキング&ランニングで通うことになったりした1年でした。現在は単位全取得済みでありながらも毎日7時起きで大学へ向かい、18時まで授業を受けたり部室で製作中の自主映画を編集したり最近はじめた聴覚障害学生向けのPCテイクのアルバイトをして人生最後の学生生活を過ごしています。昨年の正月のブログ記事を読み返すと2016年の目標(攻めに行く)は概ね達成したように思います。

さて、今年の目標は「妥協しない」にしたいと思います。
いや別にこれまでも妥協してきたつもりはありませんが、今年から私もいよいよ社会人となり、新たな環境に身を置くことになります。環境が変わったから○○はできない、○○は諦める、というような妥協はしないということです。もちろん仕事においても。

まぁこのブログの更新については妥協しそうですけどね!
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自主製作映画制作レポートNo.3

翳りを知らぬ最後の青春を謳歌した大学時代において、『The Walking Dead』が好きすぎて私が三度制作することになった自主製作ゾンビ映画。制作してから早くも1年ほど経ってしまったが今回はそのゾンビ映画三作目について、いつの日かあの楽しかった日々を思い出すために少し書き残しておく。
商業映画においてシリーズ物の作品はシリーズを重ねるごとに駄作になっていく傾向にあるが、自主製作映画の場合はどうなのだろうか。私が初めて撮った一作目のゾンビ映画はブレブレのカメラワーク、粗が目立つ編集などが作品全体のクオリティを下げていたように思うが、現役最後に撮影したこの三作目のゾンビ映画はそういった技術的な面は映画研究部での三年間の活動を経て多少はマシになったと思う。そういった面でド素人が作る自主製作映画の場合はシリーズを重ねるごとに駄作になるというわけではないのではないか。とにかく私が現役最後の作品にわざわざシリーズ物の続編を選んだのは単純に私が好きだったからである。(自主製作映画を作ることは私にとって「俺はこんな物が好きなんだ!」と他者に自己表現するための数少ない手段の一つだ。だからこれまで作ってきた作品ではゾンビやバカなアクションや古い恋愛観を扱ってきたし音楽はもちろん私が唯一愛する伝説の男沢田研二、ジュリーの楽曲をおこがましくも使ってきた)

この三作目ゾンビ映画のクランクインは2015年の1月18日。その昨年11月に二作目ゾンビ映画を完成させていたので、その二ヶ月後と非常に早く制作を開始したことになる。今作が完成したのが同年11月なのでおかげで2015年は1年中このゾンビ映画のことを考えながら過ごすことになった。制作がこれだけ早い段階に始まったのは私が常に何かを作り続けていないと落ち着かない状態にあったということと、単純に脚本の都合のためだ。三作目には二作目の直後から始まるという設定のシーンが一部あり、ならそのシーンだけ先に撮っちゃおうよということで撮影した。
この一連の過去編のシーンは1月~2月に撮影したが、そもそも二作目の季節の設定が夏ということで出演者はみんな薄着で演技をすることになり非常に非常に寒かった。今作主演の女の子Cちゃんのセリフに「助けてあげて」というものがあるが口がかじかみうまくセリフを言えず10回以上リテイクするぐらい寒かった。今作は私も主人公に近い役割で出演しているが雪が降るなか裸に軽い上着を羽織ったMGSシリーズのヴァンプのような格好をして動き回るシーンは特に猛烈な寒さであった。あくまでも撮影するシーンは夏という設定なので雪がカメラに映ればもちろんアウトである。雪が降ったり止んだりを繰り返す悪天候や、後輩の作品の撮影も同じ日にほぼ同じ場所で撮影をしていたこともあり撮影現場は混乱を極めていた。出演者たちは白い息を吐くことも許されず唯一の拠り所は現場近くにあったトイレのハンドドライヤーという有様である。あれは暖かかった。
しかし冷静に考えてみると雪が雨あられと降っている日に白い息を吐かずに演技をしろと言い、さらに屋根がない場所にも関わらず雪が写ったらアウトとは非常に無茶な撮影だったと思う。責任者出てこい。

他にも友人D谷氏の家での撮影で照明の熱が強すぎてD谷氏の家のカーペットの一部が溶けてビーズ状に変形させてしまった撮影などを通して過去編のシーンは撮り終えたがこの時点で脚本は半分も完成していない状態であった。ここから私の個人的な不調やら別映画の撮影やらが色々あり一時は本作の制作を中止してしまおうかとも思ったこともあったが、結果的に撮影は断続的に続いていくことになる。撮影は6月に本格的に再開したが結局脚本が完成したのは9月に入った頃であった。
6月~9月は主に作品の前半部分を撮影した。本作は前半は主人公たちの過去と現在の暮らしを交互に織り交ぜながら描き中盤の事件を経て後半男女のロードムービーになっていくという構成だ。前半についてはもちろん『The Walking Dead』のお馴染みの演出を意識している。私が今作で一番やりたかったのは後半からの『レオン』や『The Last of Us』的なロードムービーで男女二人がお互いに影響を与え合い成長していく物語。本当は一作目や二作目でもやろうとしていたことだがどうしても主人公一人を中心としたものにしかできず、本作は三度目のリベンジなのである。

というわけで1月~2月、6月~9月はダラダラと前半部分の撮影をしていたがこの作品を上映する学園祭の開催は10月30日だった。しかし10月に入った時点で後半はまだ一切撮影しておらず前半ですらすべて撮りきれていないという恐ろしい状況に陥っていた。これが私の大学4年間の中で最も幸福で辛く思い出深い期間となる20日間撮影の幕開けである。
自主映画であろうと、撮影の監督をするのは思ったより体力がいる。自分一人だけで完結できる現場であればいいが撮影の際は自分以外に多くの人たちの力を借りることになる。前述のような無茶な撮影をしておいてこんなことをほざくのは矛盾しているが私は少しでも関係者の負担を減らす撮影をしたいと思っていた(まぁそれが自分の負担軽減に繋がってくるのだが)。だから衣装、小道具をはじめ、当日予想されうるアクシデントの対策など事前準備は撮影当日までに入念に行う必要があり撮影のスムーズな進行のために撮影場所の下見や当日にその場でカット割を考えて全員の時間を無駄にすることのないよう絵コンテの準備をすることも欠かせなかった。しかしそれだけ準備をしてもやはり撮影当日は何かしらアクシデントが必ず起こる。そのアクシデントを通して思いつかなかったような展開をその場で取り入れたりできるのでそれはそれで楽しいのだが、撮影終了後は非常に疲れる。それが2日連続などであればもっと疲れる。だが今回の撮影ではそれを20日間連続でやるという暴挙に出ることになった。しかしそれでも時間が足りないので朝は基本的に早くて5時半、遅くて7時集合、17時~20時に撮影終了という体育会系クラブに引けをとらないスケジュールであった。撮影の多くは重い機材をたくさん担ぎ山を登って行っていたことを考慮すれば体育会系クラブよりもキツかったかもしれない。主演のCちゃんをはじめとする協力者の方々には感謝してもしきれない、本当にありがたく幸せなことだと思っている。無論私が撮影に来てくれと誰かを誘えば十中八九嫌がられるようになったことは言うまでもない。

とにかくこの連続撮影には心身共に凄まじい疲労を伴った。疲れからたまらず部室前の廊下に倒れこんだり力が出ずに走ることが困難になるなど身体機能も低下した。だがそれでも撮影だけでは映画は完成できないので22時頃に帰宅してからは毎晩深夜まで編集作業も同時進行で行っていた。それから数時間睡眠をとるとまた早朝登山撮影に出掛けていく。テレビ関係の仕事をしている人たちはこれ以上の生活をずっと続けているのだろうと思うと尊敬の念を抱く。睡眠不足からかクランクアップしてから1、2ヶ月は寝てばかりの生活になった。幾分寿命も縮んだかもしれないがそれに値する楽しさもまた同時に感じていた。撮影の後半ではついに帰宅する時間(1時間半)すら惜しむようになり自宅から編集用パソコンをプチプチくんに包んで大学まで持って行き、後輩の家に泊まり込みながら撮影をするというミニ撮影合宿を満喫する時もあった。まさに私は有り余る青春のエネルギーを全て本作の撮影に注ぎ込んだのである。

撮影終盤、18日目には琵琶湖で撮影をした。エンドロール後に流れる数カットのための撮影である。この日のスケジュールはこの連続撮影の中でも一番多忙を極めるスケジュールであった。まず深夜2時に起床、2時半に家を出て主演Cちゃんの家へ車で向かう。4時にCちゃん家到着、5時に大学へ到着し6時~8時半まで撮影、その後Cちゃんは1限授業へ(聞いたところによると居眠りしてしまったようだが無理もない)、15時までオープニングムービー用の映像の撮影をした後に3限授業を終えたCちゃんら撮影メンバーと合流。それから再び車で琵琶湖へ向かい17時に到着し撮影、というものであった。この時に起こったアクシデントは高速道路は使わず峠道を通って行くルートで滋賀県に向かったのだが途中険しい山道に翻弄され道を見落としてしまい時間を大幅にロスしてしまったことだ。その結果琵琶湖に着いたはいいものの、すぐに暗くなってしまいワンカットだけ不自然に暗い映像になってしまった。後日上映会が終わった後にそこだけ撮り直しに行くことも考えたがそれはそれでこの20日間撮影の興が冷めるかと思い断念することにした。この日の撮影終了後に皆で琵琶湖をバックに記念写真を撮ったが暗すぎて琵琶湖が全く見えていなかったのは良い思い出である。その後は皆でびっくりドンキーのハンバーグを食べに行ったが厳しい一日を乗り切った達成感と空腹、そして何よりもしんどいはずなのに楽しくて仕方がないあの奇妙な充実感というスパイスに味付けされた美味しいハンバーグは金輪際食べることはできないだろう。

19日目、20日目も含む最後の5日間ほどは丸々ラストシーンの撮影だった。前作の主人公が登場し私やCちゃんとの格闘を繰り広げるが途中でゾンビが出現し私の腕を食い千切る。このシーンは撮りながら展開を考えていく即興的な方法で撮影してしまったがその結果ゾンビが腕を食い千切るシーンは当初の脚本よりも優れた流れにすることができた。これだから映画撮影は面白い。
本作の撮影はこのシーンをもって一応のクランクアップとなったものの、この時点で上映が明日に迫っているという2016年8月27日放送24時間テレビのドラマ関係者も真っ青な状況だった。徹夜で編集をして映像を繋ぎ合わせることはできたがSEやBGMはほとんど編集することができず上映会の1日目2日目は酷い出来の未完成版を流すこととなってしまった。最終日である3日目にはSE、BGMを加えた完成版に近いものを上映することができたが、これが本作における私の一番の心残りである。(ちなみに制作レポートNo.2で記したが前作は学生部の検閲に引っかかり学園祭で上映ができなくなるという事態が起こった。今ならもう時効だろうがこの時は私は部長という立場を効果的に用いて検閲を回避したので昨年のような屈辱は受けることはなかった)

長々と思いつくままに書いたので第三者からするとなんのこっちゃと読みにくい文章になってしまったがこのようにして本作は完成した。上映会後に追加の撮り直しを何度かしたため、100%の完成版を学園祭で上映することはできなかったが最終的な完成度は私がこれまで作ってきた作品の中では一番高いのではないかと感じている。その点においてはベストを尽くせたと思う。
本作が私にとって忘れがたい作品になるのは冒頭でも述べたがこれが私の現役時代最後の作品になったということだ。映画を作ることだけに情熱を燃やした大学生活、その集大成といってもいい本作を作ることができたのは幸せなことだった。最後までついてきてくれた仲間たちには心から感謝している。

TDWS3 パネル

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2016年。あけましておめでとうございます。

あけましておめでとうございます。
こんなブログも開設してから今年で8年になります。更新頻度は順調に右肩下がりを続けていますが今年も当ブログをよろしくお願いします。
2015年は「これまでにやっていないことをする」という目標を掲げていましたが割と達成できた・・・のかな?これまでにやっていないことというよりやらなくてもいいことを、やる意味のないことを一生懸命やっていた気がしますがまぁいいでしょう。
今年の目標は「攻めにいく」でいきたいと思います。日常生活であったり就職活動であったり色んな面で。

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日記 いくつかの場面

お久しぶりです。オメルタです。大学に入ってから自分の全てだった部活を先日引退してきました。あっという間の3年間です。今日は少しその三年想いを振り返ろうと思います。

一回生
何故そもそも映画研究部なんていうあまり聞かないような妙ちくりんな部へ入部したのか。これは実は大学入学前から決めていたことでした。大学合格が決まり、ホームページでどんな部活があるのか探していた私の目に入った部活は二つ。「射撃部」と「映画研究部」でした。
射撃部はエアーライフルなどで的を射撃するスポーツ。これは仮入部の時に的の真ん中にうまく当てられたのでもういいや、となって興味を失いました。
映画研究部と聞くと好きな映画の談義をする部活なのかと思いきや映画を作る部活でした。サークルではなく部活なので機材などのお金は大学側が負担し良い物が使えます。
入部の決め手となったのはお花見の後に先輩方へ夕食をご馳走してもらった時です。先輩の一人が私の愛するゲーム「Mafia2」をプレイしていたことやこれからマフィア映画を作ることを考えている、と私に語ってくれたことからです。一緒にマフィア映画を作ろうと先輩と語り合った私は気を良くしてそのまま家に帰ったのでした。尚マフィア映画を一緒に作ることはなかったです。(自分が一応初めて監督した1分のマフィア映画のPVを作る時には色々とお世話になりました)
入部したての一回生には一つのミッションが下されます。オープニング映画を作ることです。これは入部した新入生だけで脚本、カメラ、キャストなどをこなして一つの映画を作ろうというものです。誰も主演をやりたがらなかったのとちょっと演技をしてみたかった私は主演俳優に名乗りを上げましたがこれで後に後悔することになります。オープニング映画の監督を担当することになった野郎の熱意は中途半端で散々振り回されることになりました。
結局オープニング映画撮影中に彼は部活を辞めてしまい我々は映画の方向性も見えぬまま撮影をすることになったのです。撮影メンバーは誰も彼もやる気のなさが見えこんなものの何が楽しいのかと辛かった時期でした。
黒歴史でしかないオープニング映画を作り終わった後、私は入部前にマフィア映画を作ろうと誓ったことを思い出し製作を始めます。まずは脚本を考えました。それを先輩に見せて褒めてもらい気を良くした私は撮影を始めますがすぐにその脚本の欠点に気づきます。
「これ日本語で喋るんだからマフィアじゃなくてヤクザ映画になるじゃねえか」
と。もっと早よ気づけよと。
英語の先生をキャストに迎えて全編英語音声日本語字幕にすることも考えましたがみんな英語ができないのと、当時の上映会までの期限が近かったこともありその企画は頓挫。しかし撮りためたシーンはいくつかあって無駄にしたくなかった私はそのマフィア映画の予告編を作ることにしました。オールディーズな音楽とM1911など渋めの小道具を用いればそれっぽい雰囲気は出せるのではないかと考えた結果の行動でした。出来上がったものには割と満足してました。
私は大学に入学する直前から海外ドラマ『ウォーキング・デッド』にハマり始めました。
このドラマはゾンビによる世界の終末を迎えた後の物語です。その素晴らしい特徴は多くのゾンビ映画のような派手にゾンビをブチ殺すことをメインとして描くのではなくゾンビがいる世界での人間ドラマを重視して描いていることです。ゾンビは世界観を構成する要素で物語の核は生存者たちなのです。
ともかくこのウォーキング・デッドが大好きな私は派手にゾンビを殺したりしないのならパロディで似たような雰囲気のものが作れるのでは!と考え実行することにしました。
そこで出来上がったのが『The Dead Walking』という文法的におかしいお粗末な名前をつけた映画ですがこれに3年間関わるとはこの時には思いもしませんでした・・・

ニ回生
二回生になって後輩ができることになります。これまで部活に入ってなかったので後輩ができて自分が先輩になるとは初めての経験でした。映画研究部にも慣れ、その時はその時のままで十分楽しかったのでここで新しい人間がグループに加わるなんて恐ろしく感じたものですが出来たらやはり可愛くてたまらないもんです。
私が昔から心に決めていた夢、「ムカついた相手を『ゴッドファーザー』でソニーがカルロにやっていたぐらい完膚なきまでブチのめす」という夢を一回生を巻き込んで映画にすることで叶えた後、私はまたウォーキング・デッドのパロディ二作目を作ることにしました。「主人公同士の対決」という映像が撮りたかったので一作目とは別の新しい主人公を設定して登場させました。ウォーキング・デッドが好きだから、というよりはそういう理由で撮ったのです。



そしてこの時期に私が次の部長になることになりました。自分から立候補したのです。
これまでの部長はどの人も素晴らしい人でしたが映画を積極的に作る人はいませんでした。そして当時の部は誰も映画を作ろうとしない状況でした。ここは私が部長となって積極的に映画を作ってやればみんなも作るようになるのでは、考えた行動だったのですが今思うとあまり変わりませんでしたね。

三回生
私の代が主導となって部は特に問題も起きることなくしばらく過ごしてきました。これまで特に大切に思うものもなかった私ですがこの部へ入り最初のゾンビ映画を撮った辺りからこの仲間たちには深い愛を感じるようになりました。やる気満々で部のイベントには取り組んできたのです。
そんな時春に二回生の部員が二人退部することになりました。退部の理由はここに書くような内容ではありませんがとにかく私の力不足でした。何よりも後輩を大切にしていたつもりだった私は打ちのめされ未だに引きずっている始末です。一回生が新しく入ってきたのもこの時期ですが関心が持てず、映画を作る活力も生まれず、さらには部活も辞めようかなどとも考えた辛い時期でした。辞めるまではいかなくともさっさと引退したい引退したいと毎日考えるようになっていて今思うと時間を無駄にしたなぁと思います。
そんなある日後輩の一人が私を部室へ呼び出してきました。目を潤ませながら辛いことがあるなら一人で抱え込まないで自分たちを頼ってほしい、と言われました。愛おしい後輩たちです。そんなに不安にさせるとは部長失格ですが、まだ辞められないと思いましたね。まぁ暗い気持ちが明るくなることはついになかったですが・・・
私は大切なものを自分のせいで失った男が自殺する暗い映画を作ったあと、

引退を直前に迎えた現役最後の映画としてゾンビ映画三作目を作ることにします。
これがまだ製作中なんですけどもね。また完成したらご紹介したいと思います。
この部は代々11月の学園祭の後に引退することになっています。他に居場所も楽しみもない私はこの11月が怖くてたまらなかったわけですが笑それがつい先日迎えたということです。
引退する時にやっぱり部長と副部長はちょっと喋るんですが見てみるとなんと後輩たちが泣いています。多少は寂しいと思ってくれるのならこれまで過ごしてきた3年は無意味ではなかったのでしょう。私もこれまで別れに未練を感じたことなど一度もありませんでしたがこの別れには涙しました。次の代になっても頑張ってもらいたいものです。
まぁ引退しても映画は作る気ですがね!

この3年間はこれまで生きてきた中で最も幸せな時間でした。ありがとうございました。

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シェンムー3、制作発表!!!!!

15年前、5歳の素直な少年だった頃にとある革新的なゲームに心を奪われた。それが「シェンムー」である。日本が産んだまさに伝説のゲーム。
シェンムー
ギネスに載るほど多額の制作費をかけて作られたこの伝説は先のないハードで作られたことが原因か商業的には大失敗に終わり、表舞台から姿を消す。世に出るのが早すぎたが方向性が間違っていなかったことは現在世に出ている大ヒットゲームの数々が証明している。
1作目『シェンムー 一章 横須賀』の制作費は70億円、シェンムー2の制作費は20数億円。多額の制作費をかけておりゲームのディテールは当時としては他に類をみないほど作り込まれたものであった。今では一般的となっている「オープンワールド」ゲームの元祖はシェンムーだ。1999年にシェンムーは横須賀の街を温かみをもって再現し、そこに重厚な物語を展開させた。街では全ての住人に話しかけることができ、(全ての住民に名前、生年月日など非常に細かいプロフィールなどが設定されている)道端にある自動販売機でコカ・コーラやファンタなど実在の商品を買って飲むこともでき、ガチャガチャではこれがまた非常に作り込まれた景品をコレクションすることもできる。そんなゲームはこれまで存在しなかった。
芭月涼
シェンムー ガチャガチャ
シェンムー フリーバトル
この伝説が伝説たる所以は細かなところまで世界を作り込むことによってプレイヤーに「この世界で生きている」感覚を味わわせたことが大きいだろう。良き物語には良きキャラクターが不可欠でシェンムーも例外ではない。その辺を遊んでいる子供や近所のおばちゃん、港のホームレスまで細かな設定がされている本作だけあってメインの登場人物のキャラクターは魅力的な人物ばかりだ。
父親の仇討ちがこのゲームの目的だが、主人公の芭月涼は多くの人物と出会い、成長していく。舞台は涼の地元横須賀から香港、桂林へと移っていき、忘れ難い個性豊かな登場人物と共に壮大な物語が展開されるのだ。シェンムー2の終盤、ついにメインヒロインであるシェンファが登場したところで、この物語は完結しないまま、これからというところで終わってしまっていた。
商業的な大失敗作であるシェンムーはセガから見放され、続編が出ることはないだろうとずっと言われ続けてきた。しかし素晴らしいこのシェンムーの世界に魅せられたファンは数多く続編を望む声も常にあがっていた。
かくいう私もその一人で当ブログやTwitterでも何度シェンムーのことを呟いたことか。
2009年11月の記事 ゲーム紹介 シェンムー 一章 横須賀
2010年10月の記事 シェンムー最新作キタァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ!!!!!
(モバゲーである『シェンムー街』発表時の記事)

2013年1月の記事 今年こそシェンムーを・・・
そして今回E3にてシェンムーの生みの親であり、ゲームディレクターである鈴木裕氏がソニーのカンファレンスの際に登壇、シェンムー3の制作をすると発表した。
シェンムー3
場内では大歓声があがったそうだが我々は14年間待っていたのだ、至極当然の反応である。

シェンムー3 発表
シェンムー3 喜ぶ外国人
私も「今年こそシェンムーの発表があるのでは」と毎年この時期になると胸を踊らせ毎日ネットでシェンムーが発表されていないかチェックしていたクチだが、今回は授業中にE3の生中継をみていた(後日しっかり携帯電話に通信制限という重い罰が課せられた)。
シェンムー3が発表されるや否や私は部屋を飛び出し静かに泣いた。感極まるとはこのことだ。人生はこの瞬間を味わうために存在する。

外国人のシェンムー3発表時の動画。気持ちがすごくわかる。シェンムーってやっぱり愛されてるんだなぁ。





シェンムー3はキックスターターというクラウドファンディング(不特定多数の人がインターネット経由で個人や組織に財源の提供を行うこと)のサイトを使って資金を集めて作られる。シェンムーはセガの開発したゲームだが生みの親である鈴木裕氏は既にセガを退社している。権利関係のあたりでセガと色々揉めそうだと思っていたらセガは快くライセンスを提供してくれたそうだ。
キックスターターで集める目標額は200万ドル(2億5000万円)。それを1ヶ月以内に集められれば開発がスタートするとのことだったがなんと発表後8時間で200万ドルが集まる。この驚異的なスピードは早くもギネス認定されたようだ。しかし200万ドルはゲームが開発できるぎりぎりの額、とのことで31日間の間にいくらまで資金が集められるか注目である。ちなみにこの記事を書いている時点では346万ドル。残り期限は26日。1000万ドルを越えればオープンワールドになるということで是非集めて徹底的に作り込んでもらいたいものである。また出資者には出資額に応じて相応のお返しがある。
5ドル(約600円)ではアンケートへの参加権程度だが29ドル(約3500円)ではゲームが完成したらすぐにダウンロードできるとのこと。100ドル(約1万2000円)を越えればトライアル版がプレイでき、クレジットに名前が載るなどどんどん豪華になっていく。300ドル(約3万7000円)では鈴木裕氏の直筆サインが届くとか。詳細はこちらの公式サイトにて。ちなみに私は120ドル分出資した。
制作費はこのキックスターターで集めた額だけではなく、鈴木裕氏が代表を務めるYs Netが独自に調達した資金に加えてSCEも援助するようだ。なかなか心強い味方ではないか。
シェンムー3の制作メンバーは『シェンムー 一章 横須賀』『シェンムー2』の中心メンバーを集めて行うようだ。製作総指揮、ディレクター、脚本、作曲、キャラクターデザインなど。公式サイトのプロジェクトメンバーのページに主人公芭月涼の声を務めていた松風雅也氏の名前があり、本人もTwitterでシェンムー3の発表を喜んでいる呟きをしていたのでおそらく声優も続投だと思われる(願望)。
いや、もうとにかくあのシェンムー3が本当に出るなんて!!こんなに感動したのは何年ぶりだろうか!!ありがとう!!!!!発売時期は2017年の年末を目指すそうだけどこれだけ待ったんだからいくらでも待つよ!!!!!じっくり作り込んで下さい!!!!!

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プロフィール

Omerta

Author:Omerta
ようこそ。

好きなもの
沢田研二、アル・パチーノ、映画、ゲーム、銃、デビルマン、雨、SONY、Apple

嫌いなもの
顔だけで売る近年の歌手、ラップ、オカマ、泣き寝入り、迷信を過度に信じる者、妥協、ネタバレ

好きな映画は「ゴッドファーザー」
邦画では「太陽を盗んだ男」

好きなゲームは「バイオハザード」

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